何かになりたい

ネタにするほか浮かばれない

ときめき女かく語りき

ひとに焦がれなければ私は生きていけないのだろうか?

狂ったように来る日も来る日も元カノへの呪詛を吐きつづけていた日々は終わった。
奨学金という死に至るツケ払いで延長していた、学生というモラトリアムはもう遠い昔のように感じる。

社会人となり一月と半が過ぎようとしている。幸いまだ木偶の坊であることは暴かれていないようだ。
あれだけ執着していた彼氏とはもう1週間以上連絡を取っていない。
張りきって掛けたモーニングコールにありがとうの一言もなかったことが、心にバカの実(アメリカセンダングサというらしい)の如く刺さっている。
その痛みを忘れるくらい、私は今謎多き先輩社員にご執心らしい。
らしい、というのは良からぬ傾向である離人感が現れつつあることを示している。

計画性の無さに由来する時間外労働を日々着実に積み上げ、家に帰ると会話を反復する。
今日はこんな情報が増えた、次はこんなことを聞いてみよう、あの時の言葉は足りなかっただろうか。
ときめき女は安寧を嫌い、細切れの情報を与え続けてくれる件の先輩を火種とし、BPMを増加させる。
その姿はさながら、少し見えた谷間から期待“等”を膨らませる男子学生の如し。

ときめき女の元祖たる友達が私に問う、
「恋と憧れの区別は?」
後継の私は答える、
「彼女がいるとして、
①そりゃそうだよな、カッケェもんな!と納得するのが憧れで
②めちゃくちゃ悲しむのが恋じゃない?」

数々の情報の断片を都合よく継ぎ接ぎしては、恋人や配偶者がいないであろうと結論付けている。
これはどちらの選択肢なのか?
答えを出したら、アメリカセンダングサが最後の藁になりそうな気がして、0か1か(この場合は①か②か)考えるのは止めた。



本当は、欲のなさそうなあの人が本能に溺れるのを見てみたい。