無限バリア
小学生が言いがちな、無限バリア。
たかだか数枚のバリアを無限と称するその潔さが好きだ。あの頃は何故あんなに大胆不敵な帰納ができたのだろう。
妄想はタダだし、頭の中だけなら誰にも迷惑は掛からない。
というのは私の妄想における基本理念である。
夢や頭の中なら、どんな職に就いても誰の隣で眠っても許される。理想をあの人に仮託して、フィクションに浸っているだけなのだ。
少なくとも、今は。
私は長い春と化した遠距離恋愛を終わらせて、今の彼氏と付き合い始めた。あれから数年が経ち、再び遠距離恋愛が始まってしまった。
私は、この実質“タダ”の妄想が妄想で済まなくなり、無限バリアのロジックで遠距離恋愛ができないと導いてしまうのを恐れている。
人生における数年単位の恋愛2つは、帰納するに十分な標本数なのだろうか?
確かに性格はまるで合わないし、その差異を尊敬し合えているかと問われるとそれも頷き難い。なんなら話し合える関係であるかについても疑問符が生じる。
仮にこの先も一緒だとして、結局私が転職しなければいけないような気がしている。
全て擲ってまた一緒に暮らせたら本当に幸せ?
あの人が比喩としてバリアを挙げたときの表情や音声を覚えている。
感性に惹かれ、ふとしたときの香りに揺られ、それでも私は答えを出さない。
まだ私が見ているのはフィクションだから、きっとそうだと信じているから。
彼氏との思い出が体積や質量を持って存在するこの部屋で、
誰を思おうとも彼氏に届くことはない。
でも思い出を見るたびに申し訳なく思うのはもうやめて、
仮想敵になりかけている彼氏の良いところ好きなところを思い出そう。