何かになりたい

ネタにするほか浮かばれない

私と小鳥(こと私)と鈴(もとい私)と

後に慢性的な痔に悩むこととなる母親の股から、この腐敗した世界に産み落とされて26年経った。
自分であることが一種の能力であり、神が全知全能な存在だと仮定するならば、私が私たることは私が神(の一部)であるということの証明に間違いないのだが、この主張は本筋には関係ない。God's childしたかっただけ。

生誕祭から数日経ったわけだが、私の中には今だに泣き喚くだけでしか意思を表明することのできない赤子の部分が確実に存在している。
アイデンティティの成長というのは、ひとかたまりの物質が一様にその構成を変化させるという単純な話ではないらしい。入れ子のように、あるいは大樹の幹から伸びる枝たちのように、ヘテロで歪なものらしい。

赤子の私をあやすのもまたシッターとしての私なのである。
精神年齢としては15歳から18歳くらいなのだろうか?シッターというよりは、大人が酔っ払ってしまった為に、親戚の子供を相手せざるを得なくなったお盆の高校生といったところだろうか。
なんでこんな目にと思いながら、泣き喚く子供の意図を懸命に汲もうとする。

とりあえず誰も私を救ってくれそうにないので自分がヒーローになるしかない。
泣き喚く赤子の私から意図を汲み取るには語彙が必要らしい。
私は私の機嫌をとるので精一杯、世間とか政治とか他の人とか、そんな周りを見る余裕はない。自分の精神の海が時化ないように波立たないように、それだけを考えている。