何かになりたい

ネタにするほか浮かばれない

宗教で救われてたら今こんな風になってる訳ねえだろ

非常に消化器の不快感を覚えるため、文章にすることで昇華できればと思う。
ディスコースマーカーが使えない人間なのでとにかく羅列する。


一番古い記憶は幼児園(幼稚園とは異なる)から帰るときのもの。

「ゆみこ先生、あしたね、道場に行くの!」
「剣道とか柔道の?」
「ううん、違うよ!」

母親が焦って話を逸らしたので、この“道場”の話はしてはいけないんだなと学んだ。
ピカチュウの着ぐるみみたいな服に下痢便を漏らすなどしながらも卒園し、それから大学生になるまでは、誰にも新興宗教の話をすることはなかった。

当事者あるいは私のように昔関わっていた人ならすぐにピンと来ると思うが、あの宗教は手かざしが一番の特徴だった。

おみたまと呼ばれる肌身離さず持ち歩くペンダント、「〜〜をば、〜〜したまえ」みたいな呪文が書いてある本、金色の刺繍が入ったちりめんの本のカバー、
こんな感じの物品を使い、相手の額に手をかざしながら呪文を唱えるのだ。

私たち親子は毎週のように車で県庁所在地に向かった。

到着間近の潜り込むように設計された道路で、きょうだいは息を止め、地上に戻ると大きく息を吸って無邪気に笑うのだった。

その“道場”は普通の2階建住宅に見えたが、2階のある壁が丸にくり抜かれ、教団のマークのステンドグラスがはめ込まれていた。
ドアを開くと入店音が流れ、私たち子供は元気よく挨拶する。私はあの施設の石鹸のような潔癖な匂いを今もよく覚えている。

普通そうな人たちが、正座で向き合って手をかざしかざされ、呪文を言ったり聴いたりしている。
静謐ではあったが異様な光景だった。ただ私たちにとってはそれが日常の一部だった。

同じようなペースで、隣の市にいる位の高い信者の家にお邪魔して、手かざしの練習?みたいなのをした記憶もある。呪文には天照大神や暁といった単語が出ていた。
私は飽きてあと60秒で帰ろう!と言って数え始めるのだが、50の後に70が来てしまうので、カウントダウンによって帰れることはおそらくなかったと思う。



小学生になるかならないかだろうか、一度だけ総本山に行ったことがある。
静岡にある2chまとめにも載ったあの施設。デカいアルマジロピクミンで言うならハオリムシみたいな見た目。
市場前の空き地から信者たちを乗せたバスが、夜明けから静岡に向かう。私はバス内で小便を漏らした。

着いたのは日が落ちてからだった。
よく分からないままペンライトを持たされ、よく分からないまま階段を上った。同じように光っている人たちがいっぱい居たのを覚えている。

実際、施設内はコンクリートがむき出しの箇所が多かったが、美輪明宏もびっくりの金色のステージには、やたら金色の刺繍が施された服を着た教祖がいて、みんなで喜びの歌の替え歌を歌った。
説法は長かったし何も覚えていない。当然子供はみんな飽きて途中で眠った。掛けられたタオルケットは家の匂いがしていた。

サービスエリアで蓄光して光るイルカのストラップを見るたびに、この聖地巡礼を思い出してしまう。その度に私の人生が一般的ではないことを考えてしまう。



しばらくして私は小学生中学年か高学年になって、その教団における初級の資格を取ることになった。
休日の午前中にアパートの一室に行き、幹部の講義を受けた。
内容は、例えば「あくびをしたときに霊が入ってきて、くしゃみをしたら出ていく」とか「人は死んで49日間、死体と繋がった状態で霊になってる」とか。
「じゃあ、あくびをしたら胡椒嗅いでくしゃみしたらいいんだね!」と言って大人を困らせた記憶がある。

何回か受けて私もおみたまをもらった。これで病気のきょうだいを助けることが出来ると思い、嬉しかった。


そういえば同居の親族は、前述の位の高い信者(たしか美容師でもあった)から買う化粧品はちゃっかり使うが、心底この宗教を嫌っていた。
仏壇に手かざしをする母親を叱る姿を覚えている。

中学生になり、どこかに通うことはめっきりなくなったが、会誌の表紙に絵を描けだの道場に顔を出せだの、その位の高い信者からの連絡が来るようになった。

高校生になるとほとんどその宗教を忘れるほど没交渉になった。多分母親はここら辺で宗教を辞め、純金のおみたまを売り払って換金したんだと思う。

一浪の末に大学生となり、あの宗教はどうなったのか?と母親に尋ねた。
「やめたよ。おみたまもとっくに売った。」
「なんで私に資格取らせようと思ったの?」
「末っ子で一番素直に取ってくれると思ったから。」
久しぶりにクソババアと思った。

「なんで宗教に入ったの?」
「救いたかったから。今でも宗教に入ってたから進行が遅くなったのかなって思ってる。」
「そっか。(まだダメだなこいつ)」

あの信者から買う化粧品は家から無くなりつつあった。ストックはこれで最後だと言う。
私が浪人した結果さらに貧乏にさせてしまったのが効いていたと思う。


4年経って大学院生になった。
「あの宗教さあ、本当に心から、病気に効くという科学的根拠がないよね」
「最近そう思うようになったよ」

あの宗教に繋がるものは化粧品を含めて実家から消えた。ファミマの入店音でフラッシュバックすることもなくなった。
母親も誰も彼もが、天照大神に向かって〜〜をば〜〜たまえと唱えることもなくなった。


私はふとした瞬間に、この異様な体験を思い出す。施設の匂いも、夜の冷えた空気の中で総本山までの階段を上ったことも。
宗教では病気は治らないし、科学もまだ完治する薬や治療法を開発できていない。