何かになりたい

ネタにするほか浮かばれない

笑う猫

実家では猫を最高で6匹同時に飼っていた。

猫はみな気まぐれで自由というのは、人は呼吸をして生きている、ということと同じくらい常識のように語られている。
この一般教養の性質は基本的にかの6匹にも対応していたが、それぞれの名前が違うように、アイデンティティとなる性格のエッセンスもまた各猫によって違っていた。
さらにこの性格のバラエティによって、人と人の相性があるように、人と猫の相性というのも左右されていた。


以下で語るTという猫は、私が最も接する機会の多かった猫であり、最も親しかった存在だ。

Tは黒ベースの三毛に縞模様のハイブリッド、平たく言えば雑種の雌猫であった。
特徴的なのはその声で、基本いつも掠れているミ、ミャーか、あるいはシャー、という息が漏れる音で何かを訴えかけるのが常であった。

また、その性格はかなり気難しく、猫中の猫、甘えたい時のみシャーシャー鳴く、そのほかは反応の薄い猫であった。最初は。

Tは柄も相まってなんだか妖艶な猫であった。後頭部の漆黒の毛はいつもてらてらと滑らかに光っていたし、白い毛に覆われた脚はすらりと長く、ポイントとしての縞模様も妙にエキゾチックな魅力があった。
また、その顔も親バカではあるが色っぽく、掠れた鳴き声がそれをきわ立てるようで好きだった。
もし彼女がヒトだったとしても、あの雌猫め、と人々に言わしめるようなビジュアルだったろうと思う。


ある日Tはご機嫌の様子だった。

尻尾は重力に逆らい、クエスチョンマークを描くように滑らかに左右に動く。
不意にこちらを見たTは、
「フフフッ」
と自分の価値を知った少女が悪戯に笑うような声を出した。あれはヒト科の悪女のようなフフフであった。


そんな悪女は何故かわからないが私のことをよく好いてくれていた。

私の部屋には障子の引き戸があるが、寝ているとその障子をぶち破って部屋に侵入してくる。
(ちなみに四方の仕切りのうち三方が引き戸で、残る一方は押し入れになっている。結局全方向に引き戸があるクレイジーな部屋だった。)
ここで愛おしいのが、毎回障子を突破するたびに律儀にメェと鳴くところである。声がかすれているのでニャーと発音されないのだ。

ツンケンしているのに妙に律儀なこの猫が私は好きであった。布団に入って滑らかな手触りを確かめ、ゴロゴロ鳴らす喉の音と小さな生き物の少し高めの温もりを感じながら寝ることは、気の休まることがなかった実家暮らしの中で唯一の救いであった。


そんなTは今はもういない。死に目にも会えていない。
病気にかかっても私を好いてくれることに変わりはなかったし、私も同様であった。
しかし私が家を離れた浪人生活の冬、Tは姿を消してその後帰ってくることはなかった。

彼女は私の救いであったが、私は彼女の救いにはなり切れなかった。
掠れた声とゆっくりとしたまばたきを思い出してはいつも謝り続けている。
仮に天国があるのならば、そこで滑らかな毛並みを整えてフフフと笑っていてくれたらと思う。