何かになりたい

ネタにするほか浮かばれない

2021/7/9

もういない兄
兄自身の誕生日と私の誕生日に夢に出てきた
もう夢でしか会えないがわざわざ祝いに来てくれたのだ
好きなのに一度もできなかった車も運転していたし、よく笑っていた

眠ることで会いに行っているのか、眠るタイミングで会いに来てくれるのか
それとも待ち合わせているのか分からないが、
また夢で会いましょうお兄ちゃん

パンチドランカー

姉への呪詛です。人を呪わば穴が2つです。姉妹だけに。

☑︎死にたいと思う
でカウンセラーとの面談が必須となった大学1年生の私は、拙くぽつぽつとバックグラウンドと姉との仲が険悪になった決定的出来事を語るのであった。よく相槌を打つそのカウンセラーは、私の話を聞き終わると、迂闊な死にたいチェックが付いているシートに「姉との確執」と5文字を書き添えただけであった。

姉は気に食わないとすぐに私の頭をぶん殴るクソアマだった。母親は諌めはするのだが、語気を強めると姉がまた妹ばかり擁護すると騒ぎ面倒だった。したがって母が本気で姉を止めることは全くなかったので、とりあえず私はよく殴られていたのであった。一度耐えかねて腹を殴り返したが、姉はすぐに母親に泣き付き、母親は「女の子のお腹は大事なんだからやめなさい」と私を叱るのであった。
暴力女のクソ子宮よりも私を形成する核なる脳を守ってほしかったと、今では文章にできる。しかしその言葉を聞いたときは絶望のあまり言い返せなかった。

今思い返しても気持ち悪い記憶は、姉のオナニーを手伝っていた記憶である。
小学生の考えることなのでモノや指等の挿入はなかったが、詳細を語るのはおぞましいのでやめておく。
これは私がある日拒否することで終わりを迎えた。
日中はぶん殴り夜はこのザマだったが、姉の中では「妹ばかり優遇されていた」記憶が圧倒的に優勢のため、都合よく忘れられているかもしれない。

殴られても好奇心で首を締められても、家族という幻想に焦がれてか、殴られ過ぎてすっかり麻痺してバグっていたのか、ある夏の日に先に大学生となっていた姉のもとへ遊びに行った。
これが正しく間違いであった。

その夜は異様に眠かった気がする。その夜はなんだか犯されるようなリアルな夢を見た気がする。
その明けた朝はパンツに鮮血がひと染み付着しており、慢性的な生理不順だった当時の私は、「こんなときに生理か」と思い姉からナプキンを貰った。なんだか姉がよそよそしかった気がする。その日特にナプキンに経血が付かなかったので、次の日からはまた普通のパンツに戻した。

思い返してみると上記のような感じだ。おそらく私はこの日に姉かあるいは姉の大学の人間かに犯されたと思われる。
ああ私はあの時処女でなくなったのだろうな、と悟ったのはごく最近のことであるが、それ以来明らかに精神的におかしくなってきた。

なぜなら姉の職業は教師であり、犯罪者が教師、思うままにならぬ現実に腹を立て手頃な年少者を殴っていたあいつが、先生と呼ばれ人を導く立場にあるためだ。しかもどうやら慕われているらしい。慕われる?他人に?あいつが?殴られて脳細胞が減った私の頭は混乱しているのである。

犯されたと思しき日から半年後くらいに姉との確執が決定的となり(私の浪人決定)、以来ほぼ没交渉であるが、悪い記憶はしぶとく根差している。
とりあえず姉の結婚式(これも驚きである お前のドロドロの人生美化すんな)の知らせはもう来ないであろうから、全ての連絡先をブロック・拒否・削除し、あいつが作った家族ライン(笑)からも退出し、できる範囲で遠ざかった。
しかし記憶からは遠ざかれない。最近は本当に鬱の気配を感じる。頭に黒いけどスースーする何かがいて、耳はキンキン言ってるかスースー言ってるし、仕事のミスも増えて苛立ちと悲しみが止まらない。かと言ってブチ切れも大泣きも出来ない。

人を恨むのも大分疲れますので、誰か私をぶん殴ってこの記憶を引き止める脳細胞を殺してくれないでしょうか。

読み切りの少女漫画じゃあるまいし

読み切りの少女漫画じゃあるまいし、付き合って終わりでも結婚して終わりでもない。

付き合ってた人は将来を約束してくれたけど、私が疲れてしまった。私が“与えた”と言い張って、その見返りを求めるのに疲れてしまった。
私の論理に私しか出てこないのも疲れた。
いろんな人に報告して本当に終わったことを実感した。


結婚してからも日常は続くのだから、
次は親友になれる人と一緒になろう。
些細な、だけどふたりにしかわからないことで顔を見合わせて笑おう。
知らないことは一緒に調べよう。
人に心配されない関係性を築こう。
価値観のキャリブレーションもしよう。


私の価値観は例えば茶碗の形をしていて、あなたのは例えば花瓶の形をしていて、せーので見せ合う。
そしたら私は花瓶を見て「どうして敢えてここに取っ手を付けたんですか?」と質問するから、あなたは「手首の可動域が狭いから、ここにあった方が持ちやすいんです」とか、そういう意匠を解説して欲しい。
そして私の茶碗に対して「何故そこに窪みがあるのですか?」と聞いてくれたら、私は喜んで「ここに親指を沿わせてしっかり持って、茶碗を落とさないためです」と答える。
ふたりで「あーなるほど」「そんな工夫があったか!」「洗い方に気をつけます」というやりとりをしたい。
そうやって何を大事にしてどこを工夫して人生を生きているのか、あなたと私の普通がどのくらい同じでどこが違っているのか知りたい。
その違いに対して互いに軽微に気を遣い合うことで、花瓶と茶碗を互いに丁重に扱うことで、ずっと大事にしていこう。
あなたが花瓶を求めるならすっと身を引こう。


今はまだ焦がれるだけのあの人に、いつかこうやって伝えられたらいい。

私と小鳥(こと私)と鈴(もとい私)と

後に慢性的な痔に悩むこととなる母親の股から、この腐敗した世界に産み落とされて26年経った。
自分であることが一種の能力であり、神が全知全能な存在だと仮定するならば、私が私たることは私が神(の一部)であるということの証明に間違いないのだが、この主張は本筋には関係ない。God's childしたかっただけ。

生誕祭から数日経ったわけだが、私の中には今だに泣き喚くだけでしか意思を表明することのできない赤子の部分が確実に存在している。
アイデンティティの成長というのは、ひとかたまりの物質が一様にその構成を変化させるという単純な話ではないらしい。入れ子のように、あるいは大樹の幹から伸びる枝たちのように、ヘテロで歪なものらしい。

赤子の私をあやすのもまたシッターとしての私なのである。
精神年齢としては15歳から18歳くらいなのだろうか?シッターというよりは、大人が酔っ払ってしまった為に、親戚の子供を相手せざるを得なくなったお盆の高校生といったところだろうか。
なんでこんな目にと思いながら、泣き喚く子供の意図を懸命に汲もうとする。

とりあえず誰も私を救ってくれそうにないので自分がヒーローになるしかない。
泣き喚く赤子の私から意図を汲み取るには語彙が必要らしい。
私は私の機嫌をとるので精一杯、世間とか政治とか他の人とか、そんな周りを見る余裕はない。自分の精神の海が時化ないように波立たないように、それだけを考えている。

デウスエクスマキナ

姉のオナニーを手伝わされていたことを思い出すと、やっぱり死んじゃいたくなる。
私が何者か分からない場所ではこうやって吐き出せる。

姉は人の規範となる職に就き、ご指導ご鞭撻のほどをよろしくしている。
なんなら社会的スキルアップ、つまりご成婚なさるらしい。
おめでとう、やっと私たちは別の人間になれたよ。


山間の小さな集落にある、いろんなことがちょっとずつフツウからズレた家庭で育った。
高校1年生まで、私たちは完全に未分化のおんなじ種類の幹細胞みたいなもんで、姉妹のセットで扱われることが多かった。
同じ寂しさと歪んだフツウを持っていて、同情?共感できる点は多かったはずだ。もうわかんなくなっちゃったけど。
化学を好きになってやっと、私たちは別の道に進むことになった。

姉は家族で初めての大学生になるために、家族との軋轢を生みながら勉強をした。
私は姉の振る舞いを反面教師として、家族の雰囲気を殺伐とさせない方法論を構築した。そして道化になった。軋轢を恐れるのと元々の怠惰な性格とが組み合わされ、勉強をせずに大学受験に落ちて、浪人生になって、姉とはマリアナ海溝よりも深い溝が出来た。

姉妹で比べられて歪んだ母親は、私たちを平等に扱おうとした。しかし性格がほとんど同じ私の方を理解できることが多く、結果歪みを再生産してしまった。
悲しいかな回や。況や私をや。

いま姉がどんな生活をして、どんなことを考えそして悩み何によって喜ぶのか、私にはもう分からない。
ただフツウへの憧れは私よりも顕著で、数年に1回会うたびに、自分の正しさが本当に正しいことを証明したくて仕方がないという振る舞いをする。
家族に対して素直になれない気持ちも、せめてフツウに近くあってほしい気持ちも理解できる。
でもそんな綺麗なもんじゃない、美談として語るべきじゃない、なぜなら終わりがないから、着地点がないからだ。
本能に忠実な生物学的父親がいるらしいことも、幼少期を新興宗教と共に過ごしたことも、現時点では解決のしようがないバグがあることも。
全部死ぬまで終わらないからだ。

結婚式とかいうイベントで、私たちの過ごした異常な日常と分化後の人生はどう描写されるんだろう。
少なくとも前半は人に磨いて見せるには汚ない泥団子で、それを受け取った人々はどんな反応をするんだろう。どんな反応をしたらいいんだろう。

私たちに彫り込まれた影を飛ばすための光は、舞台装置のスポットライトよりも明るく、なんならデーモン・コアが発した致死の光かもしれない。


デウスエクスマキナがいるんだとしたら、私が騒音に塗れて何も聞こえなくなったときは、そっと光を刺して私という道化の劇を終わらせてほしい。

無限バリア

 

 

小学生が言いがちな、無限バリア。

たかだか数枚のバリアを無限と称するその潔さが好きだ。あの頃は何故あんなに大胆不敵な帰納ができたのだろう。

 

妄想はタダだし、頭の中だけなら誰にも迷惑は掛からない。

というのは私の妄想における基本理念である。

夢や頭の中なら、どんな職に就いても誰の隣で眠っても許される。理想をあの人に仮託して、フィクションに浸っているだけなのだ。

少なくとも、今は。

 

私は長い春と化した遠距離恋愛を終わらせて、今の彼氏と付き合い始めた。あれから数年が経ち、再び遠距離恋愛が始まってしまった。

私は、この実質“タダ”の妄想が妄想で済まなくなり、無限バリアのロジックで遠距離恋愛ができないと導いてしまうのを恐れている。

人生における数年単位の恋愛2つは、帰納するに十分な標本数なのだろうか?

確かに性格はまるで合わないし、その差異を尊敬し合えているかと問われるとそれも頷き難い。なんなら話し合える関係であるかについても疑問符が生じる。

仮にこの先も一緒だとして、結局私が転職しなければいけないような気がしている。

全て擲ってまた一緒に暮らせたら本当に幸せ?

 

 

あの人が比喩としてバリアを挙げたときの表情や音声を覚えている。

感性に惹かれ、ふとしたときの香りに揺られ、それでも私は答えを出さない。

まだ私が見ているのはフィクションだから、きっとそうだと信じているから。

 

彼氏との思い出が体積や質量を持って存在するこの部屋で、

誰を思おうとも彼氏に届くことはない。

でも思い出を見るたびに申し訳なく思うのはもうやめて、

仮想敵になりかけている彼氏の良いところ好きなところを思い出そう。

 

 

 

 

ときめき女かく語りき

ひとに焦がれなければ私は生きていけないのだろうか?

狂ったように来る日も来る日も元カノへの呪詛を吐きつづけていた日々は終わった。
奨学金という死に至るツケ払いで延長していた、学生というモラトリアムはもう遠い昔のように感じる。

社会人となり一月と半が過ぎようとしている。幸いまだ木偶の坊であることは暴かれていないようだ。
あれだけ執着していた彼氏とはもう1週間以上連絡を取っていない。
張りきって掛けたモーニングコールにありがとうの一言もなかったことが、心にバカの実(アメリカセンダングサというらしい)の如く刺さっている。
その痛みを忘れるくらい、私は今謎多き先輩社員にご執心らしい。
らしい、というのは良からぬ傾向である離人感が現れつつあることを示している。

計画性の無さに由来する時間外労働を日々着実に積み上げ、家に帰ると会話を反復する。
今日はこんな情報が増えた、次はこんなことを聞いてみよう、あの時の言葉は足りなかっただろうか。
ときめき女は安寧を嫌い、細切れの情報を与え続けてくれる件の先輩を火種とし、BPMを増加させる。
その姿はさながら、少し見えた谷間から期待“等”を膨らませる男子学生の如し。

ときめき女の元祖たる友達が私に問う、
「恋と憧れの区別は?」
後継の私は答える、
「彼女がいるとして、
①そりゃそうだよな、カッケェもんな!と納得するのが憧れで
②めちゃくちゃ悲しむのが恋じゃない?」

数々の情報の断片を都合よく継ぎ接ぎしては、恋人や配偶者がいないであろうと結論付けている。
これはどちらの選択肢なのか?
答えを出したら、アメリカセンダングサが最後の藁になりそうな気がして、0か1か(この場合は①か②か)考えるのは止めた。



本当は、欲のなさそうなあの人が本能に溺れるのを見てみたい。